3/15:受難節第四主日宣教「私こそがファリサイ人でした」
マタイによる福音書23:1~12 眞柄光久 牧師
応答賛美104番「雨を降り注ぎ」
・イエスは、今日の段落で、弟子たちに、律法学者たちとファリサイ派の人々の言うことは、すべて行い、また守りなさいと言われたが、彼らの行いを見倣ってはならないと言われた。なぜなら、彼らは、言うだけで、実行しないからであると。
・イエス・キリストは徹頭徹尾実行の人でした。
・『行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。』(ヤコブ2:17)とか『魂のない肉体が死んだものであるように。行いを伴わない信仰は死んだもの』(ヤコブ2:26)であると、ヤコブの手紙の中に書いてあるように、イエスの時代の律法学者やファリサイ派たちは、虚栄ははっても、自分では指一本も動かさず、民を救うことはないとイエスは言われました。
・虚栄をはるというのは、本来の信仰とはなんら関係のない、律法の聖句の入った箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたり、それらによって、自分がいかに敬虔な人間であるかを人に見せるための虚栄をはることでした。
・神ではなく、人からどう思われるか、見えるかを最優先したのです。
・アマゾンの地で、数十年にわたり学校を設立し、献身的に仕え、多くの実を結んだ韓国人宣教師故ホ・ウンソク師ががんになり、死を前にしたとき、「自分は神に喜ばれること」より、「人から拍手されたい」という願いが内面に潜んでいたことに気づかされました。そして、「私こそが、表と裏の異なるファリサイ人でした」と告白しました。
・人には、ホ師のように、こころの奥底に、神よりも、人からの称賛を密かに望むものが潜んでいるように思えます。イエスはそのことを警告したのです。
眞柄 光久 牧師
3/22:受難節第五主日宣教「花婿を迎える準備はできていますか」
マタイによる福音書25:1~13 眞柄光久 牧師