3/8:受難節第三主日宣教「私の心の神殿」
マタイによる福音書21:12~22 眞柄光久 牧師
応答賛美348番「きよき所を」
・イエスの「宮きよめ」として知られている個所から、今回の段落は始められています。
・祈りの場所であるはずの聖なるエルサレムの神殿を金儲けの場所としてしまっている商人を商品ともども、イエスは追い出されます。
・これらの商人の後ろには腐敗し、形式化した祭司、律法学者、長老たちがいて、甘い汁を吸っている状況があったのです。
・その状況を見て、イエスは「『私の家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』 ところがあなたたちは、それを強盗の巣にしている」と、怒りを現わされます。
・それでも、そばに寄ってくる目の見えない人や足の不自由な人たちをイエスは癒されます。
・祭司長や律法学者たちは、イエスの癒しを自分たちの目で見ても、不思議な業としか見ませんでした。それだけでなく、イエスをたたえている子供たちを見て、腹を立てます。
・イエスは彼らが知っているはずの詩編8編の3節の文を引用して『幼子や乳飲み子の口に、あなたは賛美を歌わせた』と、反駁します。
・その夜は、イエスは、都の外のベタニアに行き、そこで泊まられます。ベタニアには死からよみがえったラザロのいる場所で、マルタとマリアも住んでいるところです。
・そして、朝早く起きたイエスたちは、都に向かう途中、イエスが実のないいちじくの木を枯らしてしまわれるのを目撃するのです。
・「信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる」と、弟子たちに真の信仰をもつことを教えられるのです。
眞柄 光久 牧師
3/15:受難節第四主日宣教「私こそがファリサイ人でした」
マタイによる福音書23:1~12 眞柄光久 牧師