正しいものは一人もいない

9/7:三位一体後第十二主日宣教「正しいものは一人もいない」 

ローマの信徒への手紙3:9~20 眞柄光久 牧師

応答賛美124番「この世はみな」

・イエスを十字架刑に追いやったのは律法であったと言ってもいいすぎではないのではないかと思う。イエスは“律法を完成させる”と言われたが、確かに完成された。それは自分の命と引き換えに。

・同じように、パウロの一生も律法との戦いに費やされたのではないかと、今日の段落を読みながら思う。パウロは後に、ローマで打ち首になって殉教している。

・律法と言われても、今の日本人にはピンとこない。むしろ倫理観と言った方が通じやすいかもしれない。人として、していいことと、してはいけないことをはっきりと決めるのが倫理観である。

・法律ではない。法律は人の生活の奥までは入ってこない。倫理観は生活の奥まで入ってくる。

・当時のユダヤ人にとっては法律であり、倫理観がまざったものが律法であった。生活の細かいところまで律法が規定していた。それらを守ることによって、人は神の前に義とされるはずであった。しかし、ユダヤの歴史上、律法すべてを守る人はただの一人も現れなかった。

・パウロは、詩編14:1~3を引用して、“善を行う者はいない。ひとりもいない”と嘆かざるを得なかった。

・それは今の世も同じである。“善を行う者はいない”どころか、“悪を行う者”が増殖するばかりである。しかも、その悪を正当化するものばかりだ。

・神の姿に似せて神は人を造られたはずなのに、人は神から日々遠ざかっていく。まるで破滅を求めるように。イエスは言われる、“時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい”と。

眞柄 光久 牧師

9/14:三位一体後第十三主日宣教「イエスが王になった人生」 

ローマの信徒への手紙6:1~7 眞柄光久 牧師