5/17:昇天後主日宣教「任されたものに忠実な管理者」
コリントの信徒への手紙一4:1~8節 眞柄光久 牧師
応答賛美59番「父の神よ 汝がまこと」
・今日の聖書個所のギリシャ語本文の冒頭には、「こういうわけで」を意味するフートという副詞で始まり、前の章の最期の節「一切はあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです」という結論の続きであることを示しています。
・「一切があなたがたのもの」というのは、パウロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることのすべてはあなたがたコリントの信徒のものであり、ということは、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものであるということです。
・パウロはこういうわけだから、人という者はキリストに仕える者、神の秘められた計画を委ねられた管理者であると考えるべきであると述べています。
・神にとっては1,000年も一瞬のことですから、私たちの生は長くてもせいぜい7,80年、しがみつくものではなく、パウロと同じように、人生と言う神から預かった時間の単なる管理者であるという意識を持つべきではないかと思います。
・その生の管理者に要求されるのは忠実であるということであるとパウロは言います。
・次にパウロは「さばき」について書いています。忠実であれと言った後に「さばき」のことを言っているのは、「さばき」を受けるまで忠実でいなさいという意味でしょう。忠実であることから離れると、神のさばきを受けることから離れてしまいます。
・パウロ自身は、コロサイの信徒からのさばきも、それ以外の人間の法廷でさばかれようと問題ではないと言っています。パウロにとっては、神のさばきがもっとも大切なことで、人からどのようにさばかれようと問題にしていないと言っているのです。
眞柄 光久 牧師
5/24:聖霊降臨祭宣教「主に喜ばれる聖徒の人生」
コリントの信徒への手紙一7:25~40節 眞柄光久 牧師