4/26:復活後第三主日宣教「契約を覚え、導かれる神」
詩編105編1~22節 眞柄光久 牧師
応答賛美453番「主よ われは今ぞ行く」
・この詩が書かれたのは、バビロンによってエルサレムが陥落した紀元前589年から587年、今から約2500年以後のものと思われます。
・神が契約を忘れず、歴史の中でご自分の民を真実に導いて来られたことを伝え、諸国の民に向かって神に感謝するように呼びかけているのが中心メッセージです。
・詩人が呼びかけている諸国の民の中には、現代に生きている私たちも入っています。2500年前の詩人の呼びかけが、今も効力を持っていることに驚かされるとともに、神の偉大さ、神の業の遠大さを自覚させられます。
・世界の歴史だけでなく、個人の人生を振り返ってみても、ポイント、ポイントで、ああ、あれは神が働いてくださったのだと思うことが、きっといくつかあると思います。人は、自覚しませんが、神が密かにその人の後ろで働かれると言うことがあるように、世界の歴史においても同じようにして働かれているのです。
・その神に礼拝をささげる時に、まず、感謝をささげて御名を呼びなさいと詩人は読者に呼びかけます。礼拝の始めは、まず神に感謝することで始まります。
・次に、神の御名を呼べと、詩人は命じます。神の御名を呼ぶことによって、神の関心を私たちに向けさせます。
・詩人は、抑えようとも抑えることのできないほめるこころのこもったほめ歌を、それも神がなされた驚くべきみわざをことごとく歌えと私たちに命じます。
・16節以降はヨセフの話になっています。「神よって選ばれた者の生き方」が述べられています。
・私たちも、神に選らばれた者としての自覚をもって、日々、歩んで行きたいと願います。
眞柄 光久 牧師
5/3:復活後第四主日宣教「「たまたま」の中に働く主の御手」
ルツ記2:1~7節 眞柄光久 牧師