5/4:復活後第二主日宣教「赤い雌牛とイエス・キリスト」
民数記19:1~10 眞柄光久牧師
応答賛美360番「喜びの日よ 光の日よ」
・神の民であるイスラエルは汚れていてはなりません。そこで、神は汚れを落とす“清めの水”の作り方を詳しくモーセとアロンに教えます。
・まず、傷がなく、まだくびきを負ったことのない欠陥のない赤毛の雌牛一頭を用意します。
・その牛を祭司エルアザルは宿営の外に引いていき、屠ります。そして、その血を指につけ、会見の幕屋の正面に向かって7度振りかけます。
・屠った牛は、エルアザルが見ている前で丸ごと焼かれます。そこに杉の枝、ヒソプ、深紅の糸を、焼かれている牛に投げ入れます。
・その後、祭司は、自分の衣服を洗い、体も水で洗い、その後宿営に入ることは許されますが、夕方まで汚れていることになります。
・雌牛を焼いた人も、衣服を洗い、体も水で洗いますが、やはり、夕方まで汚れていることになります。
・次に、身の清い者が雌牛の灰を集め、宿営の外の清いところに置きます。その灰は汚れを清める水をつくるために保存されます。罪を清めるためのものでもあります。
・雌牛の灰を集めた人は、衣服は洗いますが、夕方まで汚れていることになります。
・これらの神によって命じられた律法の掟はイスラエルの人々、また寄留者にとってもとこしえの掟となります。
・このことから、神が罪をどれほど嫌われるかを知ることができます。神は人々に絶えず、“聖になれ”と言われています。なぜなら、神が聖であられるからです。
・イエス・キリストが私たちの罪を贖うために十字架につけられたのも、イエス・キリストが罪を冒さない聖なる人であったからです。
・欠陥のない雌牛もヤコブの母マリアを想起させます。
眞柄 光久 牧師
5/11:復活後第三主日宣教「キリスト者の和解の務め」
コリント二5:16~21 福井正躬協力牧師