神の命令を思い起こさせる衣服の房

4/27:復活後第一主日宣教「神の命令を思い起こさせる衣服の房」 

民数記15:32~41 眞柄光久牧師

応答賛美453番「主よ われは今ぞ行く」

・先週、今年の復活祭を迎えることができました。礼拝後には、みんなで一緒に食事をすることができ、コロナの頃を考えると、考えられないことでした。そのうちの何人かで、動物園にも行くこともできました。

・幸い、朝、雨に見舞われたにも関わらず、昼食後は雨も止み、止んだどころか日も差してきて、暖かい日になりました。みなさんのお祈りが通じました。

・天気のように、神様がつかさどっておられることには、人はどうにもできません。ただ祈るだけです。

・その祈りを神様が聞いてくださったと言うことに喜びを感じ、また、感謝の思いが湧いてきて、クリスチャンでよかったなと思わされた復活祭の日でした。

・神様は何度も言われています。「聖なるものでありなさい。なぜなら私が聖であるからだ」と。

・しかし、人間は神様の思いに反することを思い、行い、旧約の中では、なんども罰を与えられています。

・今日の個所では、安息日に薪を拾い集める人がいたということ。神様が安息された安息日に、安息せず、故意に、薪を集める。

・この人は、神の満たしは必要ないという、神に敵対する故意の罪を冒したのです。神の言葉を人間の基準で判断したのです。

・イエスは、すべてにおいて、神のみこころに従い通しました。病人を癒し、悪魔を追い出したけでなく、究極的に人間の罪を贖うためにご自分の命まで差し出されました。

・安息日に、神に故意に反することを行った人は、石打の刑に合い、命を失いました。

・イエス様の生き方となんと違うことか。

・私たちはイエス様にならって、生きていきたいと思うのです。

眞柄 光久 牧師

5/4:復活後第二主日宣教「赤い雌牛とイエス・キリスト」 

民数記19:1~10 眞柄光久牧師