4/6:受難節第五主日宣教「順調な出発」 民数記10:11~36 眞柄光久牧師
応答賛美446番「いつも喜んでいなさい」
・エジプトから出て2年目の第二の月の20日、雲が「証しの幕屋」から離れて昇ったので、イスラエルの人々はシナイの荒野を出発しました。
・ここでは会見の幕屋ではなく、「証しの幕屋」となっています。
・その幕屋から雲が離れたと言うことは、出発の時が来たと言うことです。イスラエルの民はシナイの荒れ野を出発しました。
・行先は知らされていません。幕屋から雲が昇ったら出発で、雲が留まったら旅を止め、そこにとどまります。
・行先は神が導いてくださいます。
・それに反して、現代の私たちは、行先を自分で決めようとします。いろいろ悩み、考えたすえに、最良、最善と思われる方向に向かって進んでいきます。人生は一方通行で、良きにしろ、悪しきにしろ、前に進まされます。時は待ってくれません。
・だから、祈りが大切になります。モーセの時のように、真ん中に見える形である幕屋に従って歩むことはできません。
・しかし、主日ごとに教会に来ることはできます。礼拝をささげ、自分の行先を神に聞きます。
・今日の段落の33節にあるように、神は休む場所も探してくださいます。
・今の私たちには、教会が霊を休ませる場所にもなっています。主に礼拝をささげることによって、私たちの霊は聖められ、また、新しい人生を進んでいけるのです。
・教会は永遠のいのちの泉の湧くところなのです。
眞柄 光久 牧師
4/13:受難節第六主日宣教「イスラエルのいなごの正体」
民数記13:25~33 眞柄光久牧師