2/2:顕現後最終主日宣教「イエスを受け入れる人と拒む人」
ヨハネによる福音書9:13~34 眞柄光久牧師
・「牧師です」というと、奇異な目で見られることが多い。牧師に接するということがまったくないのであろう。牧師という職業がどのようなものであるか、どのようなことをするのかが想像もつかないのであろう。
・「会社員」ですといえば、それがどのような内容の会社員であれ、奇異な目で見られることもなく、受け入れられる。
・「牧師です」と言って、イエス・キリストの話を少しでもしだすと、即座に困惑されるか、「いいよ、いいよ」と拒否される。
・「イエス・キリストは真実で、信じれば、罪赦され、永遠のいのちをいただけますよ」などと、話せば、すこしおかしい人と思われる。
・それほど、日本ではキリスト教はなじみがなく、受け入れられがたい。
・でも、クリスマスになると、街はイルミネーションで飾り立てられ、ジングルベルが鳴り響き、クリスマス一色になる。
・キリスト教とはそういうものかと、逆にクリスチャンである私たちが、世間からそう受け取らされる。
・イエスの行うしるしを見ても、イエスをキリストとして受け入れることができないファリサイ派の人々たちも大同小異であろう。
・モーセの弟子としての矜持から離れられない彼らは「安息日が人のためにある」ことを受け入れようとしない。
・牧師を奇異な目で見る多くの現代の人たちと変わらない。
・そういう中でも、私たちは主なるイエス・キリストの福音を伝え続けていく使命が与えられている。
眞柄 光久 牧師
2/9:受難節前第四主日宣教「悲しみに打ち勝つ復活の信仰」
ヨハネによる福音書11:17~35 眞柄光久牧師