1/26:顕現後第三主日宣教「霊的渇きからの解放」
ヨハネによる福音書7:37~52 眞柄光久牧師
・「人の内面には神にしか満たせない空虚な空間がある」とのアウグスティヌスの言葉があります。
・人間はこの空間を自ら満たすことはできないので、たましいの渇きを覚えつつ生きるほかありません。
・イエスは「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい」と言われました。この渇きは霊的な渇きで、恵みの欠乏状態を表しています。
・すべての人は神との霊的関係の断絶からくる本能的な欠乏、つまり、たましいの渇きの中にあります。
・霊的な渇きは、聖霊が内住されてこそ解決できるものです。聖霊は、信じる者に、一時的に臨まれるものではなく、その人の内に住まわれます。
・40節以下では、イエスのみ言葉を聞いた人たちの中に分裂が起きます。ある人たちはイエスを預言者だと言い、他の人たちの中には、「イエスはガリラヤ出身で、ガリラヤからメシアは出ない」と言い、対立します。先入観は信仰の妨げになります。
・律法をよく知り、守っていると自負しているファリサイ派は、戻ってきた使いの者のことを「律法を知らない呪われている者」と批判します。
・信徒も聖書をよく知っていると自負するなら高慢になり、霊的に盲目になります。神のことばを真に悟った人は、謙遜になります。
・権威主義に陥った指導者は、人の忠告を受け入れなくなります。信徒は、日々忠告に耳を傾ける者になり、また、過ちが明るみに出た時には、謙虚にそれを受け入れ、自らを正したいものです
応答讃美歌:523番「主われを愛す」
眞柄 光久 牧師
2/2:顕現後最終主日宣教「イエスを受け入れる人と拒む人」
ヨハネによる福音書9:13~34 眞柄光久牧師