11/03:三位一体後第二十三(子ども祝福式)主日宣教
「主を避け所とする正しい人」 詩編64:1~11 眞柄光久 牧師
応答讃美歌:554番「イエスに導かれ」
・祈りたくない時とか、祈れない時とか、いつもと違う祈りをしたいと思うとき、そういう時には詩編を読むのがいい。読む前には、何分かの黙祷の時間を持つともっといい。
・3,000年近く前に生きた人がどのように考え、思ったのかを知るには詩編を読むのが一番いい。
・今日の詩編64編、ダビデの詞となっています。でも、本当は誰が、いつ書いたのかはわかっていません。内容から察するに、詩人は周りを敵に囲まれて、大変な危機にあり、主のもとに逃れる他ないという状況に置かれています。
・主は、敵に矢を射かけ、反撃する。彼らは傷を負い、それを見た人々は彼らを侮るようになります。
・不利な立場に置かれた者が、一瞬にして、神の反撃により、有利な立場に置き換わったのです。
・「正しき人は主によって喜」ぶことになったのです。
・イエスは「エリ エリ レマサバクタニ」と十字架の上で叫び、人々には神に見捨てられて、死んでいったのだとしか見えませんでした。誰が、そのイエスが3日後に復活すると信じていたでしょうか。誰もいませんでした。
・3日後に復活したイエスを見た人々は、大きな喜びに包まれました。・神から与えられる喜びは永遠の喜び。この世では悲しみとしか思えないことを、神はそれを、永遠の喜びに変えてくださる。そのことを誇ることができる。誇るのであればイエスを誇れ。
眞柄 光久 牧師
11/10:週末前々主日宣教「足の立たない深い大水の中で」
詩編69:1~13 眞柄光久 牧師