10/13:三位一体後第二十主日「荒地を耕せ」
ホセア書10:1~15 眞柄光久牧師
応答讃美歌:104番「雨を降り注ぎ」
・散歩をしていますと、空き家と耕作放棄地があるのが目につきます。どちらを見ても心が痛む風景です。
・空き家であった家では、家族生活が営まれ、家族にとっては大切な場所で、帰ることのできる場所であり、安らぎの場所であったに違いありません。
・耕作放棄地も、秋になれば黄金色の稲穂がたわわに実る田んぼであったはずです。それがいつごろからか、家も田んぼも見捨てられ、無惨な姿を現すようになってきました。
・空き家は雨風で腐り、木々に覆われ、朽ち果てていきます。そこに新しい家が建つことはないだろうと思わされます。
・耕作放棄地も雑草が高く伸び、地は干からびていくままにされています。一旦放棄された耕作地を元に戻すのは大変な労力が必要とされるだろうと、素人の私でも思わされます。
・これらは目に見えるものですが、バアルの神と主なる神とに二股かけていた、2,500年以上前のイスラエルやユダの民のこころの中はどうだったのだろうかと思います。今の、空き家や耕作放棄地のように、心の中は空っぽで、主なる神に返らず、むなしい偶像を拝み続け、快楽や物質的豊かさを追い求めていたのでしょうか。
・そうしているうちに国の滅亡、それよりもなによりも、神から見放され、霊的滅亡に見舞われるのでしょうか。
眞柄 光久 牧師
10/20:三位一体後第二十一主日「香油のささげもの」
ヨハネによる福音書12:1~8 福井正躬協力牧師