忍耐の結末

1/8:顕現後第一主日礼拝「忍耐の結末」(ヤコブの手紙 15:1~11)

眞柄光久牧師

応答賛美 新生521「キリストには替えられません」

・「自分で稼いで得た金」という言い方をサラリーマン時代の私はよくしていました。そこには多くを稼ぐことができなかった人への侮蔑と、傲慢さがありました。能力と健康に恵まれていたのは、当然のことだと思っていました。

・若者の多い、きらびやかな東京に戻って来て、感じたのは、昔の自分の時代とちっとも変わらないなということでした。いや、そのような考え方は、昔以上に増大し、この街をすべて覆っているのでは思わされました。神の存在はどこにもありません。「金、金、金」が全てのように見えました。

・街は裕福そうな人々であふれ、道路は高級車が占め、高層のビルが次々と建てられ、貧しさ、謙遜さ、つつましさ、質素さなどはまったく無縁に思えました。

・人口が半減し、商店街はシャッター街化し、道を歩いていても、歩いている人にめったに行きかうこともなく、空き家が目立つ大牟田のことが頭から離れませんでした。

・ヤコブは言います。『すべては神から与えられた物であり、人は耐えることによって、イエスに近づき、成熟していくのだ』と。

・品川の駅前にたたずみ、隙間もないほど歩いている大勢の人たちを見ながら、このヤコブのことばが、どれほどこれらに人たちに説得力を持つものかを考えると絶望的な気持ちになりました。ヤコブの言葉は「金、金、金」の声に押しつぶされてしまっていました。

眞柄光久牧師

1/15:主日礼拝「人を通して働かれる神」(フィリピ 2:19~30)眞柄光久牧師