わたしの民を慰めよ

10.18 宣教「わたしの民を慰めよ」(イザヤ40:1-11) 概要から

応答賛美 新生 384(1,3節)「語り伝えよ 神のみ言葉」

イザヤ書40~55章は伝統的に「第二イザヤ」と称され、39章までのBC8世紀後半を舞台に記された預言者イザヤの書(第一イザヤ)とは区別されます。第二イザヤが誰であるのかは不明ですがバビロン捕囚(BC6世紀前半)からの解放に立ち会った預言者と考えられています。その時代、預言者エレミヤも、エゼキエルも歴史舞台から退き、バビロニアに代わってペルシア帝国の時代となると、捕囚の地に新たな預言者(第二イザヤ)が起こされ、ペルシア王キュロスの政策変換と相俟って捕囚から解放の道が開けたのです。バビロン捕囚がイスラエルの罪の結果であるならば、捕囚からの解放は贖罪を伴わなければなりません。「慰めよ、わたしの民を慰めよ」(イザヤ40:1)には、慰め主の苦悩が隠されています。神がその罪を引き受けるがゆえに、本当の慰めが成り立つからです。預言者はこの神の償いを神の言葉として語り、「よき知らせ(福音)」同40:9)として伝えるのです。捕囚の民がこの福音を聞いても、全てが自分のこととして受け止めたのではありません。荒れ果てたエルサレムに戻るよりも捕囚の地に居続ける方が容易いからです。ここに福音宣教者の喜びと共に苦悩があります。  牧師 金子 敬

10/25 主日礼拝 宣教「神は救いの達成を導かれる」 (フィリピ2:12-18) 福井正躬 協力牧師