悲しみ泣くイエス

3/8 宣教「悲しみ泣くイエス」(ルカ19:41-48)概要から

応答賛美 新生 457「聞こえるでしょう」

主イエスがオリブ山を下る道にさしかかると、眼下に広がるエルサレム神殿の光景は黄金色に輝き、美しさを誇っていました。そして人々がその荘厳さを歓喜するとき、主イエスはこの都のために悲しみ、涙を流されました。ここに、2000年を経た今も「主の涙の教会」と称される、涙がしたたり落ちるさまを表したドームが建っています。ガイドに促されて聖書(ルカ19:41以下)を開き、足が震えたことを今も鮮明に覚えています。「今のあなたはどうなのか?」「あなたの教会はどうなのか?」と問われるのです。主イエスの涙のまなざしは「わたしの家は、祈りの家でなければならない」(ルカ19:46)と聖霊の宮であるべき私達に向けられているようです。人々は外見を観ます。立派な石垣、きらびやかな装飾・・・・を。しかし、神の宮であるべき教会が、愛と平和の道をわきまえず、自らの繁栄を追って「強盗の巣」と化しているとしたら、主イエスの涙は、今も流され続けているのではないでしょうか。真の神の訪れの日をわきまえなかった宗教者たちを嘆く主のまなざしのかなたに、私たちも置かれているのかもしれません。ああ主よ!悲しみ泣くイエスのまなざしよ!   牧師 金子 敬

3/15 主日礼拝 宣教「皆わたしにつまずく」(マルコ14:27-31) 金子 敬 牧師