主の死を告げ知らせるため

9/1 宣教「主の死を告げ知らせるため」(Ⅰコリント11:23-29)概要から

応答賛美 新生221「血しおしたたる」

「主の晩餐」の根拠は、パウロが「わたし自身、主から受けたもの」(Ⅰコリント11:23)と記すところにあります。代々の教会はこれを受け継ぎ今日に至っています。カトリックはこれを「秘跡」(サクラメント)とし、司祭の祈りでパンと葡萄汁がキリストの体と血に変化すると主張します(化体説)が、プロテスタント教会はこれを否定し、キリストの裂かれた体と血を記念する「しるし」と受けとめます(記念説)。更にバプテスト派ではⅠコリント11:23-26から、これはキリストの十字架の死を想起し、パンと杯に与るたびに単に「恵みに与る」だけではなく「主の死を告げ知らせる」こと(福音宣教)を重視します。即ち、これに与る私たちは、ただ一回限り現わされたキリストによるサクラメントを伝える使命、即ち、「礼典」(オーディナンス)と位置付けます。「ふさわしくないままで」(同11:27)との言葉で、誰がこれを受けるにふさわしいのか、と議論する向きもありますが、福音宣教という教会の立つべきところをわきまえないなら、その人にとって「主の晩餐」は意味のないものとなるでしょう。この招きを感謝し、キリストの死を告げ知らせる使命に生きる者となりましょう。   牧師 金子 敬

9/8 礼拝宣教 宣教「安息日のイエス」 マタイ12:1-14 金子敬 牧師