主の見守りを受けて

3/24 宣教「主の見守りを受けて」(詩編121:1-8)概要から

応答賛美 新生435「山辺に向かいてわれ」

詩編121編は、その表題「都に上る歌」(1節)が示すように巡礼者の歌です。イスラエルの民が長いバビロン捕囚の苦しみから解放されて、自分の国イスラエルに帰る旅の中で歌われたことを想像してみましょう。BC538年ペルシアの王キュロスによりバビロン捕囚からの解放と帰還の許しが公にされ、人々は自分の国に帰れるようになったのです。喜びと不安の入り混じる中での長い旅路です。この詩編121編の中には繰返し何と6回も使われている言葉があります。それが「見守る」(シャーマル)と言う言葉です。「見守ってくださるように」「見守る方は」「見守る方」「見守り」「見守って」「見守ってくださるように」とあります。神はバビロン捕囚の地においても見捨てることなく「見守り続けてくださった」との信仰告白です。灼熱の岩山を踏みしめながらエルサレムへと歩む巡礼者。厳しい現実の中で「助けはどこから来るのか」と問いかけながら、その苦しい現実を知り、これを治めるお方、主なる神から来ると告白するのです。2018年度、私たちの「出で立つのも帰るのも見守って」下さった主に感謝し、信じて新しい年度に向かいましょう。   金子 敬

3/30 礼拝宣教 福井正躬協力牧師