8/11:三位一体後第十一主日「神が用いられる人」
列王記下22:1~11 眞柄光久 牧師
応答讃美歌:523番「主われを愛す」
・マナセとアモンによって広まったユダの罪は、人生の方向性が何によって決まるかを教えられます。イスラエルの主なる神に忠実に仕えるか、仕えないかで、人生の方向性が決まるのです。
・ヒゼキヤは過ちも犯しましたが、悪しき王と評価された父アハズとは異なる評価を受けました。しかし、ヒゼキヤの息子と孫は、ユダを再び悪へと進ませました。
・アモンの次に、ヨシヤがユダの王になりました。「彼は主の目に適う正しいことを行い、父祖ダビデの道に従って歩み、右にも左にもそれなかった」と、聖書は述べます。ヨシヤは自分の意志でダビデの道に進んだのです。ヨシヤの功績は「改革」と定義づけられます。
・大祭司ヒルキヤは修繕中の主の神殿から律法の書を見つけます。それはすぐ書記官シャファンに渡され、彼はそれを王の前で読み上げました。
・王はその律法の書の言葉を聞くやいなや、衣を引き裂いたと記されています。
・だれかが意図したことではなく、神の恵みによって起こされたできごとでした。
・神は聖徒とともに働き、恵みを与えてくださるのです。その恵みはイエスによって完成されました。「私が来たのは律法や預言者を廃止するためだと思ってはならない。廃止するためでなく、完成するためである(マタイ5:17)。
眞柄光久牧師
8/18:三位一体後第十二主日「御国のかぎを持つ教会」
マタイによる福音書16:13~20 福井正躬 協力牧師